日本町コミュニティーを
一生懸命応援していきたい
レストラン「山昌」
オーナーシェフ
山田 昌吾さん
●家族:妻
●習い事・趣味:河内音頭
1944年8月20日日生まれ。大阪府堺市出身。幼少の頃より河内の音頭に憧れ、学校卒業後は浪曲師を目指して天光軒満月に弟子入り。渡米後はサンフランシスコで声楽とピアノを学ぶ。一度日本に戻り、自身のピアノバーを経営するが、90年に再渡米し、レストラン「いずみや」を経営したのち2010年に現在の「山昌」をオープン。同店経営のほか、河内音頭を広める「山昌会」としても活動している。リッチモンド在住。
現在の仕事について
サンフランシスコ・ダウンタウンで、レストラン「山昌」を経営しています。日本食レストランとしてはもちろんですが、カラオケのできる個室や大人数でのパーティーも可能なバンケットも備えているので、普段使いから催し、パーティーまで幅広い方に利用していただいております。私自身としては、「山昌会」として大阪の「河内音頭」をサンフランシスコでも広めるための活動も行っており、毎年の桜祭りや大阪祭りなどで披露させていただいております。
ベイエリアに住むことになったきっかけ
大阪・堺で学校を出た後は、浪曲師に憧れて弟子入りし、カバン持ちからスタートして大阪や神戸の寄席を回って、師匠や他の芸人さんの芸を一生懸命に勉強しました。最初の渡米は23歳の時。当時サンフランシスコに住んでいた姉から、こっちで学校に行ったらという誘いがありましてね。師匠に相談したら「今後、浪曲の世界もどうなるかわからへん、いっぺんアメリカに行ってみろ」と言われたことも後押しとなり、決意しました。その後はサンフランシスコのデザイン学校に通ったり、3年後に弟が来てからは音楽学校で声楽とピアノを学ぶ傍ら、市内のナイトクラブやキャバレーで弾き語りなどを行っていました。その時の家賃はだいたいstudioで月90ドルくらいでした。今では信じられないですね。その後は一旦日本に帰国して、大阪新地のクラブを経て自分のピアノバーをオープンしました。お金を貯めてサンフランシスコに戻ってくるつもりだったのですが、ちょうど日本がバブルだったこともあってなかなか良い経験をさせてもらいました(笑)。約10年経ってサンフランシスコに戻ってきて89年に「いずみや」をオープン。その後、やはり音楽をやりたいなという気持ちもあってカラオケのできる現在の「山昌」をオープンしました。
休日の過ごし方
休日という休日はこれといってありません。ただ、年に一度は大阪で河内音頭に出るために日本に帰っています。大阪でも「秋月昌吾」の名前でやぐらに乗って音頭を取っていますよ。数年前は、東京の錦糸町でも河内音頭が開催されて、その際は東京でもステージで披露しました。それ以外ですと、年に1、2回は3〜4日間の旅行に行きます。最近はロサンゼルス、ラスベガスに行きました。いい気分転換になっていいですね。
食生活について
70歳を過ぎて健康に気をつかって糖分を控えています。蕎麦と玄米を主食に食べるようにしています。でも大阪に帰った時はやっぱりうどんを食べてしまいますね。こじんまりやっている店なんかも大阪はどこに入っても美味しい。天ぷらうどんが好きです。
ベイエリアのお気に入りスポット
サンマテオのダウンタウンは落ち着いていて好きですね。姉が住んでいることもあって、休みの日はたまにご飯を食べに行きます。ユニオンシティにも弟が住んでいるので、家族がいる街にはよく遊びに行ったりしますね。
ずっとベイエリアに住みたい?
ホームレスが増えてきたり、人件費も土地も高いし、昔とは全然変わってしまった部分もたくさんあるけど、その分値打ちのある街やなと思いますね。あとは、やっぱりこの気候が好きです。暑すぎず、寒すぎず。日本も好きなので老後はまだ分かりませんが、商売をやっているうちは当分ここに居たいと思っています。
アメリカ生活が長くなったなと思う時
実際長く住んでいますが、あまりそう思ったことはないですね。でも、日本に帰った時はホッとします。警察も社会も甘い部分が多いですしね。毎年、夏には河内音頭に参加するために大阪に帰りますが、その度に思います。逆にアメリカに帰ってくると、今でも緊張します。日本で普通に生活していて訴えられるようなことはないですが、こちらでは気をつけないとどうなるか分かりませんしね。日本では気ままに商売していましたが、アメリカではなかなかそうはいきません。店をやっていく上でも、身が引き締まる国だなといつも思います。
2020年の展望
自分がやっている河内音頭はもちろん、日本、特に大阪の文化や日本町コミュニティーをもっとサンフランシスコで盛り上げていきたいですね。リズムや踊りなど、言葉を必要とせずとも交流できる部分はたくさんあると思っています。一緒に河内音頭を盛り上げてくれる踊り子さんやお囃子さんなど大募集していますので、ぜひお声かけください。
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日本町コミュニティーを
一生懸命応援していきたい
レストラン「山昌」
オーナーシェフ
山田 昌吾さん
●家族:妻
●習い事・趣味:河内音頭
1944年8月20日日生まれ。大阪府堺市出身。幼少の頃より河内の音頭に憧れ、学校卒業後は浪曲師を目指して天光軒満月に弟子入り。渡米後はサンフランシスコで声楽とピアノを学ぶ。一度日本に戻り、自身のピアノバーを経営するが、90年に再渡米し、レストラン「いずみや」を経営したのち2010年に現在の「山昌」をオープン。同店経営のほか、河内音頭を広める「山昌会」としても活動している。リッチモンド在住。
現在の仕事について
サンフランシスコ・ダウンタウンで、レストラン「山昌」を経営しています。日本食レストランとしてはもちろんですが、カラオケのできる個室や大人数でのパーティーも可能なバンケットも備えているので、普段使いから催し、パーティーまで幅広い方に利用していただいております。私自身としては、「山昌会」として大阪の「河内音頭」をサンフランシスコでも広めるための活動も行っており、毎年の桜祭りや大阪祭りなどで披露させていただいております。
ベイエリアに住むことになったきっかけ
大阪・堺で学校を出た後は、浪曲師に憧れて弟子入りし、カバン持ちからスタートして大阪や神戸の寄席を回って、師匠や他の芸人さんの芸を一生懸命に勉強しました。最初の渡米は23歳の時。当時サンフランシスコに住んでいた姉から、こっちで学校に行ったらという誘いがありましてね。師匠に相談したら「今後、浪曲の世界もどうなるかわからへん、いっぺんアメリカに行ってみろ」と言われたことも後押しとなり、決意しました。その後はサンフランシスコのデザイン学校に通ったり、3年後に弟が来てからは音楽学校で声楽とピアノを学ぶ傍ら、市内のナイトクラブやキャバレーで弾き語りなどを行っていました。その時の家賃はだいたいstudioで月90ドルくらいでした。今では信じられないですね。その後は一旦日本に帰国して、大阪新地のクラブを経て自分のピアノバーをオープンしました。お金を貯めてサンフランシスコに戻ってくるつもりだったのですが、ちょうど日本がバブルだったこともあってなかなか良い経験をさせてもらいました(笑)。約10年経ってサンフランシスコに戻ってきて89年に「いずみや」をオープン。その後、やはり音楽をやりたいなという気持ちもあってカラオケのできる現在の「山昌」をオープンしました。
休日の過ごし方
休日という休日はこれといってありません。ただ、年に一度は大阪で河内音頭に出るために日本に帰っています。大阪でも「秋月昌吾」の名前でやぐらに乗って音頭を取っていますよ。数年前は、東京の錦糸町でも河内音頭が開催されて、その際は東京でもステージで披露しました。それ以外ですと、年に1、2回は3〜4日間の旅行に行きます。最近はロサンゼルス、ラスベガスに行きました。いい気分転換になっていいですね。
食生活について
70歳を過ぎて健康に気をつかって糖分を控えています。蕎麦と玄米を主食に食べるようにしています。でも大阪に帰った時はやっぱりうどんを食べてしまいますね。こじんまりやっている店なんかも大阪はどこに入っても美味しい。天ぷらうどんが好きです。
ベイエリアのお気に入りスポット
サンマテオのダウンタウンは落ち着いていて好きですね。姉が住んでいることもあって、休みの日はたまにご飯を食べに行きます。ユニオンシティにも弟が住んでいるので、家族がいる街にはよく遊びに行ったりしますね。
ずっとベイエリアに住みたい?
ホームレスが増えてきたり、人件費も土地も高いし、昔とは全然変わってしまった部分もたくさんあるけど、その分値打ちのある街やなと思いますね。あとは、やっぱりこの気候が好きです。暑すぎず、寒すぎず。日本も好きなので老後はまだ分かりませんが、商売をやっているうちは当分ここに居たいと思っています。
アメリカ生活が長くなったなと思う時
実際長く住んでいますが、あまりそう思ったことはないですね。でも、日本に帰った時はホッとします。警察も社会も甘い部分が多いですしね。毎年、夏には河内音頭に参加するために大阪に帰りますが、その度に思います。逆にアメリカに帰ってくると、今でも緊張します。日本で普通に生活していて訴えられるようなことはないですが、こちらでは気をつけないとどうなるか分かりませんしね。日本では気ままに商売していましたが、アメリカではなかなかそうはいきません。店をやっていく上でも、身が引き締まる国だなといつも思います。
2020年の展望
自分がやっている河内音頭はもちろん、日本、特に大阪の文化や日本町コミュニティーをもっとサンフランシスコで盛り上げていきたいですね。リズムや踊りなど、言葉を必要とせずとも交流できる部分はたくさんあると思っています。一緒に河内音頭を盛り上げてくれる踊り子さんやお囃子さんなど大募集していますので、ぜひお声かけください。