先人の軌跡を辿りつつ

SAKEを米国で盛り上げる

Gekkeikan Sake (USA), Inc.

CFO&VP of Marketing

 

村上 浩一さん

●住まい・:2BR 2BA 小さな庭付き

●家族:妻

●乗っている車:RAV4(社用兼)

1968年11月11日日生まれ。京都府宇治市出身。立命館大学卒業(文学部英米文学専攻)、1991年月桂冠株式会社入社、福岡支店に配属される。その後貿易部(北米向け輸出担当)、営業統括部を経て2013年に月桂冠上海商貿有限公司へ駐在。2018年より米国月桂冠株式会社のCFO兼営業、マーケティング副社長として渡米。現在に至る。フォルサム在住。

 

現在の仕事について

 日本酒及びSAKEの啓蒙活動に従事しています。日本はお酒を愛してくれていた層が退場する時代を迎えました。アメリカや海外市場は月桂冠のみならず酒業界全体にとってもShining Starであり続けなければなりません。

 

大学での専攻

 英米文学、特にアメリカの1920年代以降の作家が好きでした。F. Scott Fitzgeraldの短編『The Ice Palace』を卒論のテーマとしました。

 

英語は得意?

 そんなに得意ではありません。「月桂冠」をLaurel Crownと紹介しましたが、L、R、L、Rの連続は噛みます(断言)

 

ベイエリアに住むことになったきっかけは?

 サクラメントからまだ30分奥に分け入った田舎に住んでいます。京都の水と近い軟水が得られるので、1989年にここに酒蔵を造りました。しかし「営業」としては大きなハンデです。

 

休日の過ごし方

 妻から「落ち着きがない」と言われるほど、いろんなところに行き倒しています。知らない街を見て、ご飯を食べ、スーパーの酒コーナーを見て回り、月桂冠が無いと指摘します。代理店からは「もうやめてくれ」と言われています。翌日は疲れて、家の小さい庭で過ごしています。

 

習い事・趣味など

 日系人の歴史を辿る旅を続けています。博物館はロサンゼルス、ホノルル、サンノゼを巡り、マンザナーで手を合わせ、ターミナル島やウォルナットグローブをウロウロしたりしています。また月桂冠に入社しながらワイン、ビールの仕事を20年やっていたので、ワイナリー巡り、ブルワリー巡りは好きです。

 

食生活について

 3年半の上海駐在時は飲食店を中心とする営業で、毎晩外食で疲れました。今は近隣のお店にたまに伺う程度で、基本妻が作ってくれたご飯を食べています。

 

アメリカ、ベイエリアに来て

興味を持ったこと

 上でも書きましたが、当地の日系人の先輩たちの姿ですかね。我々が酒造りに使う酒米「カルローズ(Calrose)」も、元を辿れば「短稈渡舟(たんかんわたりぶね)」という日本米です。先輩たちが苦難の中、ここで守り続けてきたお米です。

 

毎年必ず行くベイエリアのイベント

 2019年月桂冠としては初参加でしたが「SAKE DAY」ですね! また同日開催の「OSAKA MATSURI」ではオンステージし『悲しい色やね』を妻に着付けてもらった着物で披露しました。

 

ベイエリアのお気に入りスポット

 Point Reyes National Seashoreの荒涼とした風景は心に残りました。海岸近くの植物もちょっと他と違います。帰りはMarshallのHog本店で牡蠣をたらふく食べて、Bodega Bayのヒッチコックの足跡を探訪して帰りました。

 

ずっとベイエリアに住みたい?

 住めるなら一年ぐらいはサンフランシスコに住んでみたいです。今は都会の生活に少しあこがれているからです。でも「落ち着きがない」ので、飽きたらまた移ります。

 

老後もベイエリアに住みたい?

 カリフォルニアのドライな気候は汗かきの私には合っていますが、もっと住みたいところがあるので。でも老後は冬も温暖な日本の黒潮ライン(高知-徳島-和歌山-三重)で余生を過ごしたい夢が今はあります。妻の許可は得ていませんが。そしてその頃まだ「落ち着きがない」かどうか、私の身体が動くのかどうかはわかりません。

 

いま一番チャレンジングなこと

 米国月桂冠の構造改革。オールドスタイルの量産体制からの段階的脱却と生き残りを賭けた上質化の模索。

 

2020年の展望

 まだ知らない場所、20年訪れていない場所などたくさんあり、一つ一つ潰していきます。60歳までもう残り9年。できる限り多くの人と会い、お話しして、自分の人生をより豊かなものにしていきます。仕事ではここにいる限りは、新しいことに継続的に取り組んでいきます。

 

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先人の軌跡を辿りつつ

SAKEを米国で盛り上げる

Gekkeikan Sake (USA), Inc.

CFO&VP of Marketing

村上 浩一さん

●住まい・:2BR 2BA 小さな庭付き

●家族:妻

●乗っている車:RAV4(社用兼)

1968年11月11日日生まれ。京都府宇治市出身。立命館大学卒業(文学部英米文学専攻)、1991年月桂冠株式会社入社、福岡支店に配属される。その後貿易部(北米向け輸出担当)、営業統括部を経て2013年に月桂冠上海商貿有限公司へ駐在。2018年より米国月桂冠株式会社のCFO兼営業、マーケティング副社長として渡米。現在に至る。フォルサム在住。

 

現在の仕事について

 日本酒及びSAKEの啓蒙活動に従事しています。日本はお酒を愛してくれていた層が退場する時代を迎えました。アメリカや海外市場は月桂冠のみならず酒業界全体にとってもShining Starであり続けなければなりません。

 

大学での専攻

 英米文学、特にアメリカの1920年代以降の作家が好きでした。F. Scott Fitzgeraldの短編『The Ice Palace』を卒論のテーマとしました。

 

英語は得意?

 そんなに得意ではありません。「月桂冠」をLaurel Crownと紹介しましたが、L、R、L、Rの連続は噛みます(断言)

 

ベイエリアに住むことになったきっかけは?

 サクラメントからまだ30分奥に分け入った田舎に住んでいます。京都の水と近い軟水が得られるので、1989年にここに酒蔵を造りました。しかし「営業」としては大きなハンデです。

 

休日の過ごし方

 妻から「落ち着きがない」と言われるほど、いろんなところに行き倒しています。知らない街を見て、ご飯を食べ、スーパーの酒コーナーを見て回り、月桂冠が無いと指摘します。代理店からは「もうやめてくれ」と言われています。翌日は疲れて、家の小さい庭で過ごしています。

 

習い事・趣味など

 日系人の歴史を辿る旅を続けています。博物館はロサンゼルス、ホノルル、サンノゼを巡り、マンザナーで手を合わせ、ターミナル島やウォルナットグローブをウロウロしたりしています。また月桂冠に入社しながらワイン、ビールの仕事を20年やっていたので、ワイナリー巡り、ブルワリー巡りは好きです。

 

食生活について

 3年半の上海駐在時は飲食店を中心とする営業で、毎晩外食で疲れました。今は近隣のお店にたまに伺う程度で、基本妻が作ってくれたご飯を食べています。

 

アメリカ、ベイエリアに来て

興味を持ったこと

 上でも書きましたが、当地の日系人の先輩たちの姿ですかね。我々が酒造りに使う酒米「カルローズ(Calrose)」も、元を辿れば「短稈渡舟(たんかんわたりぶね)」という日本米です。先輩たちが苦難の中、ここで守り続けてきたお米です。

 

毎年必ず行くベイエリアのイベント

 2019年月桂冠としては初参加でしたが「SAKE DAY」ですね! また同日開催の「OSAKA MATSURI」ではオンステージし『悲しい色やね』を妻に着付けてもらった着物で披露しました。

 

ベイエリアのお気に入りスポット

 Point Reyes National Seashoreの荒涼とした風景は心に残りました。海岸近くの植物もちょっと他と違います。帰りはMarshallのHog本店で牡蠣をたらふく食べて、Bodega Bayのヒッチコックの足跡を探訪して帰りました。

 

ずっとベイエリアに住みたい?

 住めるなら一年ぐらいはサンフランシスコに住んでみたいです。今は都会の生活に少しあこがれているからです。でも「落ち着きがない」ので、飽きたらまた移ります。

 

老後もベイエリアに住みたい?

 カリフォルニアのドライな気候は汗かきの私には合っていますが、もっと住みたいところがあるので。でも老後は冬も温暖な日本の黒潮ライン(高知-徳島-和歌山-三重)で余生を過ごしたい夢が今はあります。妻の許可は得ていませんが。そしてその頃まだ「落ち着きがない」かどうか、私の身体が動くのかどうかはわかりません。

 

いま一番チャレンジングなこと

 米国月桂冠の構造改革。オールドスタイルの量産体制からの段階的脱却と生き残りを賭けた上質化の模索。

 

2020年の展望

 まだ知らない場所、20年訪れていない場所などたくさんあり、一つ一つ潰していきます。60歳までもう残り9年。できる限り多くの人と会い、お話しして、自分の人生をより豊かなものにしていきます。仕事ではここにいる限りは、新しいことに継続的に取り組んでいきます。