日本・世界の医療のために

日米を結びゼロからイチを創る

Program Director (U.S.) of Japan Biodesign,

Stanford Biodesign, Stanford University

 

池野 文昭さん

●乗っている車:Toyota Prius

●住まい:3BR 2BA

●家族:妻、娘2人、息子2人、犬1匹

1967年生まれ。静岡県浜松市出身。自治医科大学医学部医学科卒業。静岡県立総合病院、焼津市立総合病院で研修後、国民健康保険佐久間病院(現、浜松市立佐久間病院)で僻地医療に従事。2001年4月より、現在のStanford University医学部に研究医として就職。2013年に医療機器に特化したVenture Capital, MedVenture Partners, Incを日本で創業。日本国内の10以上の大学の客員教授、日本政府の行政、地方自治体のアドバイザー、各委員会委員を兼任。

 

 

現在の仕事について

 色々やっていますが、メインはスタンフォード大学での心臓系の医療機器の研究開発と、スタンフォード・バイオデザインというデザイン思考を駆使した医療機器の起業家育成講座です。そのほか日本に本社がある医療機器のベンチャー・キャピタルも行っています。また、日本の10以上の大学の客員教授を務めています。最近では米国で日米の医療機器産業のコラボレーションを促進するNPOを立ち上げました。毎年、日本にシリコンバレーの医療機器業界の重要人物を招いて交流しています。

 

英語は得意?

 受験としての成績は決して悪くありませんでしたが、話す・聞くは、全く駄目でした。正直、受験のあの英語は何だったのだろうと、アメリカに来て実感しました。今でもジャパニーズ・イングリッシュ+ブロークン・イングリッシュが、全く直りません。失敗したのは、郷里名物のうなぎパイを研究室にお土産で購入した時です。「Pie made of eel powder」と説明したつもりが、「ear powder」と聞こえたらしく、耳垢が入った特製お菓子と間違えられ、しばらく誰にも手をつけてもらえませんでした。

 

英語力向上のための秘訣

 渡米直後、正直全くもって大嫌いだったのですが、夫婦でホームパーティーに「拷問」と思いながらも参加しました。会話が全く弾まず、夫婦で孤立しておりましたが、それを気の毒に思った方々が少しづつ声を掛けてきてくれて、英語を話す機会を極力増やしました。今でもあまり得意ではありませんが、気がつくと多弁に話をリードしている自分がいます。ここ18年で随分成長したものだと感じますが、ジャパニーズ・アクセントは一切向上しません(笑)。

 

習い事・趣味

 飛行機に乗ることです。もちろん操縦士ではなく、あくまでも客としてですが。唯一個人の時間が楽しめる空間ですので、この時間を大切にしています。

 

アメリカ、ベイエリアに来て

興味を持ったこと

 起業家精神に非常に興味を持ちました。私は日本で地方公務員かつ医師でしたので、なぜ安定ではなくリスクをとって挑戦し続けるのか不思議で仕方ありませんでした。渡米時より必然的に医療機器関連の起業家達とスタンフォードを通して仕事をしていましたが、いつのまにかミイラ取りがミイラになったように、起業家精神教育が自分のミッションのひとつになっていました。今では日米の大学でそれを教育しています。

 

アメリカ生活が長くなったな…と思う時

 渡米した2001年に起こった世界多発同時テロが、過去の話になっていると感じたときです。この日の、ワシントンDCでペンタゴンに突入する低空飛行の旅客機の爆発音が、今でも最近の出来事のように耳に焼き付いています。

 

ベイエリアのお気に入りスポット

 サンノゼの日本人街です。日系人移民の苦労を知ることができるからです。日系人団体の「US - Japan Council」のカウンシル・リーダーを務めていますが、日系人移民の諸先輩達の功績を、決して我々日系移民一世は忘れてはらないと思います。

 

ずっとベイエリアに住みたい?

 住みたいです。毎日が記念日のように、好奇心を満たす新たな発見がありますから。

 

いま一番チャレンジングなこと

 早稲田大学で取得している医工学の博士号です。博士論文を仕上げる時間がなかなかありません。

 

2019年の展望

 日本では医療に恵まれない地域で僻地医療をしていました。今でも大学の同級生、先輩、後輩の医師は地域医療をしています。私は2001年から日本を去り、アメリカに渡ってきました。33歳の時です。もう今年で52歳になります。現役でバリバリやれる最後の年代になったと自覚しています。高校生の時に進路を決め、自治医科大学を選択したときの志を忘れてはいません。日本の医療のために人生を捧げる。それが、私が18歳の時に持った志であり原点です。日本・世界の医療のために、日米を結びゼロからイチを創ることに尽力します。それが、神様が私に与えた天命であると信じています。

 

 

 

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日本・世界の医療のために

日米を結びゼロからイチを創る

Program Director (U.S.) of Japan Biodesign,

Stanford Biodesign, Stanford University

 

池野 文昭さん

●乗っている車:Toyota Prius

●住まい:3BR 2BA

●家族:妻、娘2人、息子2人、犬1匹

1967年生まれ。静岡県浜松市出身。自治医科大学医学部医学科卒業。静岡県立総合病院、焼津市立総合病院で研修後、国民健康保険佐久間病院(現、浜松市立佐久間病院)で僻地医療に従事。2001年4月より、現在のStanford University医学部に研究医として就職。2013年に医療機器に特化したVenture Capital, MedVenture Partners, Incを日本で創業。日本国内の10以上の大学の客員教授、日本政府の行政、地方自治体のアドバイザー、各委員会委員を兼任。

 

 

現在の仕事について

 色々やっていますが、メインはスタンフォード大学での心臓系の医療機器の研究開発と、スタンフォード・バイオデザインというデザイン思考を駆使した医療機器の起業家育成講座です。そのほか日本に本社がある医療機器のベンチャー・キャピタルも行っています。また、日本の10以上の大学の客員教授を務めています。最近では米国で日米の医療機器産業のコラボレーションを促進するNPOを立ち上げました。毎年、日本にシリコンバレーの医療機器業界の重要人物を招いて交流しています。

 

英語は得意?

 受験としての成績は決して悪くありませんでしたが、話す・聞くは、全く駄目でした。正直、受験のあの英語は何だったのだろうと、アメリカに来て実感しました。今でもジャパニーズ・イングリッシュ+ブロークン・イングリッシュが、全く直りません。失敗したのは、郷里名物のうなぎパイを研究室にお土産で購入した時です。「Pie made of eel powder」と説明したつもりが、「ear powder」と聞こえたらしく、耳垢が入った特製お菓子と間違えられ、しばらく誰にも手をつけてもらえませんでした。

 

英語力向上のための秘訣

 渡米直後、正直全くもって大嫌いだったのですが、夫婦でホームパーティーに「拷問」と思いながらも参加しました。会話が全く弾まず、夫婦で孤立しておりましたが、それを気の毒に思った方々が少しづつ声を掛けてきてくれて、英語を話す機会を極力増やしました。今でもあまり得意ではありませんが、気がつくと多弁に話をリードしている自分がいます。ここ18年で随分成長したものだと感じますが、ジャパニーズ・アクセントは一切向上しません(笑)。

 

習い事・趣味

 飛行機に乗ることです。もちろん操縦士ではなく、あくまでも客としてですが。唯一個人の時間が楽しめる空間ですので、この時間を大切にしています。

 

アメリカ、ベイエリアに来て

興味を持ったこと

 起業家精神に非常に興味を持ちました。私は日本で地方公務員かつ医師でしたので、なぜ安定ではなくリスクをとって挑戦し続けるのか不思議で仕方ありませんでした。渡米時より必然的に医療機器関連の起業家達とスタンフォードを通して仕事をしていましたが、いつのまにかミイラ取りがミイラになったように、起業家精神教育が自分のミッションのひとつになっていました。今では日米の大学でそれを教育しています。

 

アメリカ生活が長くなったな…と思う時

 渡米した2001年に起こった世界多発同時テロが、過去の話になっていると感じたときです。この日の、ワシントンDCでペンタゴンに突入する低空飛行の旅客機の爆発音が、今でも最近の出来事のように耳に焼き付いています。

 

ベイエリアのお気に入りスポット

 サンノゼの日本人街です。日系人移民の苦労を知ることができるからです。日系人団体の「US - Japan Council」のカウンシル・リーダーを務めていますが、日系人移民の諸先輩達の功績を、決して我々日系移民一世は忘れてはらないと思います。

 

ずっとベイエリアに住みたい?

 住みたいです。毎日が記念日のように、好奇心を満たす新たな発見がありますから。

 

いま一番チャレンジングなこと

 早稲田大学で取得している医工学の博士号です。博士論文を仕上げる時間がなかなかありません。

 

2019年の展望

 日本では医療に恵まれない地域で僻地医療をしていました。今でも大学の同級生、先輩、後輩の医師は地域医療をしています。私は2001年から日本を去り、アメリカに渡ってきました。33歳の時です。もう今年で52歳になります。現役でバリバリやれる最後の年代になったと自覚しています。高校生の時に進路を決め、自治医科大学を選択したときの志を忘れてはいません。日本の医療のために人生を捧げる。それが、私が18歳の時に持った志であり原点です。日本・世界の医療のために、日米を結びゼロからイチを創ることに尽力します。それが、神様が私に与えた天命であると信じています。